折々の一齣
日常生活・路上考現学・街角観察・その他

『論語』為政第二の四の位置づけについて

『論語』というと、なんだか道徳くさい、説教くさい話ばかりの印象ですが、ここ20年ほどの間に、専門家の間では(伏流水として)別の捉え方も出てきています。

たとえば、大修館書店の『月刊しにか』で連載されていた斗酒庵主人「固ゆで論語」(2004年3月号まで24回連載)や、浅野裕一『儒教―ルサンチマンの宗教』 (平凡社新書007、1999/05)があります。

ただし、「伏流水として」ですね。あんまり表立って論じたりはしない。

あんまり表立って、「はい、ここ、弟子にジェラシーを感じて、からかいの茶々入れをしていますね!」とか「はい、ここ、財政的に孔子教団を支えていたパトロン的弟子のご機嫌をとるような発言をしていますね!」とか、「ここ、やっぱり人肉製であると考えないと、話の文学性の面からは筋が通らないんじゃないかなぁ。」とかは、なかなか、講義の場では言いませんね。

「伏流水」の見方は、論語を「徹頭徹尾、一貫した構造を持った書物だ」ととらえようとするのは、限界がある。だから、もしかして、孔子先生は、弟子達に《ゆるりとした、ざっくばらんな調子》でお話しした可能性はないだろうか? という考え方をするわけです。

そのときそのときの、孔子の「人間くさい」反応だとか、「ハードボイルド語録」として読むと、結構、「わかる(共感する)」わけですよ。

例えば、為政篇の有名なところについて、他の文献資料と併せて考えるとどうなるか?

『禮記』曲禮上第一
 人生十年曰幼、學。二十曰弱、冠。三十曰壯、有室。四十曰強、而仕。
 五十曰艾、服官政。六十曰耆、指使。七十曰老、而傳。八十九十曰耄。七年曰悼。
 悼與耄、雖有罪、不加刑焉。百年曰期、頤。

人、生まれて十年を幼と曰う、学ぶ。
二十を弱と曰う、冠す。
三十を壮と曰う、室〔しつ〕有り。
四十を強と曰う、而〔しこ〕うして仕〔つか〕う。
五十を艾〔がい〕と曰う、官政に服す。
六十を耆〔き〕と曰う、指使〔しし〕す。
七十を老と曰う、而うして伝う。
八十九十を耄〔ぼう〕と曰う。
七年を悼〔とう〕と曰う、悼と耄とは罪有りと雖〔いえど〕も、刑を加えず。
百年を期〔き〕と曰う。頤〔やしな〕う。

ですから、

礼記 「人生十年曰幼学」→論語 「吾十有五而志学」
礼記 「二十曰弱冠」→論語 「三十而立」

という対応か?と、今、仮定的に考えてみましょう。

そうすると、「ワシは、成長が遅かったことよのぅ…。」という韜晦気味の自嘲を併せ持った、弟子達への慰めと希望の言葉だったのではないか。

そして、礼記に「四十曰強而仕」とあるにも関わらず、孔子は仕官できていないんですね…。
そもそも、彼は一生、仕官できなかったのです。永遠のニートなんですよ。
だから、そのように「仕官できない状況でも《惑わなくなった》」、と言ったのではないでしょうか…。

礼記 「四十曰強、而仕」→論語 「四十而不惑」

以降、仕官していない孔子は、

五十年で、重要な官職政務を扱うこともできず、
六十年で、多くの人を指揮する地位にも付けず、
七十年で、地位を人に譲るその地位さえも持っていなかった。

…という人生を送ったわけです。

そこで、それらが各々、「知天命」、「耳順」、「従心所欲不踰矩」に言い換えされたのではないか?

志を持っていても「時に合わず」、仕官できなかった者たちの矜恃のありようを、実感を伴ったモデルとして示した…という可能性はないだろうか、と。

礼記 「五十曰艾、服官政」→論語 「五十而知天命」

ってのは、いよいよ五十歳になっても官政に就けなかった(希望する道で就職できなかった)わけです。

そこで、「この道を世界に広めるために《弟子を育てる》というのが天命だと知るに至った。」と孔子は言ったということでしょう。

どうですか?

「オレに政治を任せれば!」と、いきり立つ若い弟子達に、志という「静かな炎」の燃やし方を示したのではないか、という気がしてなりません。

そうなると、読書人の中で『論語』と『老子』が、それぞれどのような役割をしていたのか?という関係性の「通説」も、結構、変わってくるでしょう。

ハレとケの役割分担だ、では割り切れなくなってきます。

叛逆の物語 1巡目メモ

みんなで卒論を書こう

タイトルはプロスペクターさんの暑苦しい声で再生しないように。紡木たくの方です。

以下、「原画展を開催中の漫画家、大友克洋と江口寿史の豪華対談!【後編】」(2012.04.30 http://nikkan-spa.jp/202762)より抜き書き。

江口: 大友さんの作品の画期的だったところって、「汚し」が入るところなんですよ。建物とか乗り物とか、大友さん以前の漫画は汚れなんてなくて綺麗に描くのが普通だった。でも、生活して道具を使っていたら当然汚れるわけで。それをきちんと描いたのが大友さんだったんです。

大友: 誰かがこうしたから俺もって言うんじゃなくて、同じ時代を生きて、その時代の空気を感じながら生きていれば、当然同じ表現方法に辿り着くっていう。『ブレードランナー』(82年日本公開)なんかもそうだよね。

大友: 「綺麗なものだけじゃなくて汚い部分もちゃんと見よう」っていう空気に変わっていった時代なんだと思うよ。

江口: 「マクドナルド」を「ナクドナルド」って書かなきゃいけないとか、そういう漫画のルールがイヤだったんですよね。それまでの漫画に出てくる、その靴、靴ひも通ってるのかよ!って感じのハイカットのスニーカーとかを見て、リアリティのない漫画的な記号から逃れたいなと。

江口: 姉妹でも、お姉ちゃんはこのブランド着ていて、妹はここのブランド着てる……と具体的に描き込んでいくことで、その時代の空気が自然と反映されるんですよね。

大友: いま自分で昔の原稿を見返しても、描いていたときの空気、雰囲気、もっと大きくいうと時代みたいなものってやっぱり鮮明に覚えてるんだよね。具体的なものじゃなくて「感じ」を思い出す。あのときは大変だったなーっていうのもあるけど、原稿が上がった後だから楽しい気持ちのほうが大きい。

江口: 原稿上がるとね(笑)。万能感に溢れてるよね。天下取ったような気持ちになる!

江口: 僕も、完成に近づくに連れてノリノリになっていきます。下書きは苦労するけど、仕上げは早い。ヘッドフォンつけて歌いながら仕上げしてます(笑)。

大友: だってね、みんな泣きながら描いているわけじゃないですか。念も集まりますよ。

江口: え、大友さんでも泣くんですか?

大友: そりゃ泣くよ。

江口: 大友さんは泣かないと思ってた。何か勇気付けられました。

大友: みんな泣くって。

江口: 松本大洋とか五十嵐大介とか、泣かずにサラサラッと描いてそうだけどなー。

大友: 泣いてなさそうに見える、苦労が絵に出ていないってのは大事だけどね。でも、松本大洋だって五十嵐大介だって泣いてるよ!
結局机に向かっているときはみんな孤独なんだから。

江口: そうかー。泣いてるの俺だけかと思ってた。「俺はこんだけ泣いてるんだからもっとみんな同情しろ!」って思ってました(笑)。

以上の対談からわかったこと。

学術論文と、全く同じであることがわかった。

学術論文にも流行りというか、「時代の空気の影響」というのは確かにあるし。

また、書き出す前、構想→下調べ→再構想→再調査→自分はどう読むか?→で、それってホントに“今の”自分が考えたいこと、“今の”自分が言いたいことなのか?他の作品を題材にした論文を書いた方が良いのではないか?…とグルグル回っている間は、「自分自身との斬り合い」なのですね。
だから、作品の著者に、その文学作品に、そして、そこに映し出された自分自身に、泣きながら自身に斬りかかる。
作品を具体的に読む。その時代の制度・人間関係・作者の置かれていた立場、季節、風習、同時代の作家との違い…あらゆる周辺情報を徹底的に調べ上げて、取り組む作品が浮き上がってくるよう、具体的に可視化する。
「俺はこんだけ泣いてるんだからもっとみんな同情しろ!」と思いながら孤独な戦いが続く。
締め切りも迫ってくると、白いワニが見える。
でも、頭の中で論文の章立てと説明をしてゆく順序、つまり筋書きができてしまえば、後はページの余白を埋めてゆくだけ。
だから、ノリノリで書き飛ばす。歌わないけどね。
で、完成したら、万能感に溢れる。天下取ったような気持ちになる!

卒業論文をきちんと書いて卒業すると、この「天下取ったような気持ち」を味わえます。

先ちゃんの発言にびっくりした

先ちゃん曰く「30何年描いてきてやっと気づいたんだよ!」。

今までは横顔描く時せいぜい向こう側のまつげの先っぽくらいしか描いてなかった。でも、ほんのちょっと見えてる向こう側の目の、まぶたも目玉も描く。そうすると、佇まいにもうひとつ気配が出るんですよ。30何年描いてきてやっと気づいたんだよ!

— [江口寿史] ([@Eguchinn]) [2013年12月1日]

漫画家・江口寿史先生推奨「5分以内ですぐ出来る、ゴミ出し前のお手軽スケッチ練習法」 - Togetterまとめ

先ちゃんが描くと先ちゃんの画になる

というわけで今日の5分間素振り。 ナウシカのコミックス最近やっと全巻揃えた。(遅いよ!)

— [江口寿史] ([@Eguchinn]) [2014年3月28日]

「先ちゃんが描くと先ちゃんの画になる」というのは、プロとして当たり前なのだろうけど、素人から見ると、やはり驚きだ。

そして、みつえちゃんの描く目が大好きなのは、みつえちゃんの画の中に先ちゃんで目慣れた要素が遺伝子のように非常に微細なものではあるんだけれど、チラっと感じる(見える、ではない。もっと感触的なもの)からなのかもしれないなぁ、と思った。
みつえちゃんの描くポテンとした「くちびる」は春菊テイストなのかな…とか。
あ、でも小梅ちゃんの目は寿テイストではなくって秋月りすっぽいかも。
ダブッと服を着る感じが汚く見えないのは、みつえちゃんの素敵なセンスだと思う。

「人生をこじらせてしまった人」の「こじらせ方」にも色々ある

文学部という所は、もともと、「人生をこじらせてしまった若者」が進学する場所である。
文学部の教員は、そのなれの果てであるからして、ほぼ100%、みんな人生をこじらせてしまった人たちなのである。
教授たちは、大学院に進学してさらにこじらせまくった人たちなのである。

では、すんでの所でどうにか踏みとどまり、大学院には行かずに大学四年で卒業して就職活動をし、なんとか社会に出られた文学部出身の若い人は、どんな風にこじれているか?
そのサンプルとして興味深い。

私の目から見て、以下に掲げるソウタロウ氏の表白する課題・問題は、多くの場合、経済学で言えばサイモンの「限定合理性」の問題と、「抽象化能力」の不足のように思えます。

限定合理性については、人生経験の不足によるものなので、今は、どうしようもない。
一見、合理性を追求しているように本人には思えているのでしょう。
しかし、彼の心の中の根源、根っ子の部分に、「実は必要な、ある要素」が足りない。

「実は必要な、ある要素」とは、古代中世からバブルがはじける直前の頃までは確かに日本でも存在していた「年寄りを大切にし、年寄りの知恵を大切にする」という観念です。
たかだか数十年しか生きていない60歳以下の若造()が、数千年をかけて、人類が経験則として得た最適解を軽んじた結果、ず~っと、こじらせ続け、ず~っと、苦しみ続けている。
そんな風に感じました。

※漢文研究者の業界には「四十、五十はハナタレ小僧」という言葉がある。

また、ソウタロウ氏のブログが存在することそのものが、今の時代が「生きづらい時代」であることを証明しているように思いました。

それと、昨今は書いて表明することについて「完成された物だけを差し出すべき」という暗黙の圧力があるように感じますね。
これは、いわゆるライフ・ハック系の記事が人気であるせいもあるでしょう。
「すぐに役立つ!お婆ちゃんの生活の知恵豆知識」と言い換えると、ライフ・ハックなんてかっこつけて言うな、と思いますけどね。
とくに「すぐに役立つ!」というところが気に入らない。
それって「実は、本当に身につくわけではない」ということでしょう?
まぁ、いいや。
話を戻して、「考えるために書く」とか「考えが、少しずつ何らかの塊になるようにするために書く」。
そういう手続きが人間には必要なように思えるのです。
だから、自分なりに納得の行く答えを見つけ出すために表白することはとても大切なことだろうと思います。
人はそれぞれの時期に、それぞれの過程を踏んで成長してゆくわけですから、誰でも段階を踏んでゆかねばまりません。
その自分の進歩なり逡巡なりの歴史を記録として残しておくことは、きっと何らかの意義があることだと思います。

さて、「限定合理性」の問題だ、というのが如実に表れている記事は、たとえば、以下のようなもの。

今の時代にそぐわないマナーは撤廃していきたい By ソウタロウ 30 6月, 2013
http://divide-et-impera.org/archives/1104

「付加価値」というキーワードへの観点が抜けていると、こういう風にこじらせます。
高級料亭の女将がまともなお酌をできなければ、食通(?)にバカにされるでしょう。
私は食通(?)みたいな連中は大嫌いですが、「個人の好き嫌い」と、「そういう市場が確かにこの世の中には存在する」ことは別問題です。
「今の時代にそぐわない(ように思う人もいるかも知れないけれども、確かにこの世の中には存在する)マナー(なるもの)を、外交の世界では「プロトコール」と言います。

外交の「プロトコール」すら、まともにできない国家は、国家としての威厳を保てませんし、他国に見下されるでしょう。
なにも、ftpとかhttpとかだけがプロトコルなのではありません。
神社で神主が幣をバサバサと振り回すのも、「神おろし」のためのプロトコルです。
その所作が正しくなければ、神様とネゴシエーションできず、コネクションを確立できないのです。
サラリーマンでも、取引先との会食で、「プロトコール」が求められる場面があるのではないでしょうか。
上司との宴会での正しい所作は、取引先との会食でコネクションを確立させるための訓練の場です。

そのプロトコルは、いまはだんだん使われなくなってきたという時代の変わり目にあるから、不要だという風に思うわけですね。
昔々、1994年頃の話ですが、インターネットでのファイル検索はGopherというプロトコルを使っていました。
わたしもEd Krol著、村井純訳『インターネットユーザーズガイド―A nutshell handbook―』(インターナショナル・トムソン・パブリッシング・ジャパン 1994/05)というやたらに分厚い本を買い込んで、結構使いました。
当時はパソコン通信からTELNETでCompuServeに入ってそこから国立がんセンター(ploxyとして使う)に行ってから、スイス(の、どこだったかなぁ…欧州原子核研究機構CERNじゃないかと思うんだが…)に行って、そこでlibwwwだったかLynxだったか(当然、テキストブラウザだ)を起動して使っていたような気がする。
2010年頃からは、ftpサーバもだんだん減ってきて、ファイルのダウンロードもみんなhttpで良いよね、という風になりつつあるわけですから、若い人はGopherなんてプロトコルを知らないのは仕方ありません。

「時代の変わり目」には、そういうことが往々にして起こりますが、「古いことも、知っていて損することはない」んです。
ここ15年間、たくさんの銀行が統合合併しています。
IT業界が「2001年問題」で大騒ぎしていた頃を境に、COBOLプログラマをバサバサとリストラしていたんですよね。
で、どうなったか? 銀行同士の合併でシステムを連動させようとしてコードを見ても、若いSEは読みこなせない。
営業日になってもシステム統合が完了せず、新聞で大騒ぎ。
冷徹に解雇したくせに、過去に在籍していたCOBOLプログラマに三顧の礼で頭を下げて、ようやく現場に復帰してもらい、どうにか改修完了。
金融庁にも叱られる。メガバンクの面目丸つぶれ、全世界に赤っ恥をさらす羽目になりました。
古いことも、知っていて損することはない。とは、そういうことです。

昔の職場には「この人、なんで在職しているんだろう?」という高齢の職員がしばしば見かけられました。
物静かではあるけど、何か特別な仕事をしている風でもない。
かといって、窓際族で縮こまっているわけでもない。
私が見かけた事例で思い浮かぶのは、予備校の職員さんに、そういう人がいました。
その人は他の職員からは常に「師匠」と呼ばれていました。

各大学の合格発表が続々と行われる日になって、「師匠」が「師匠」と呼ばれ、彼に居場所がある理由をはじめて知りました。

師匠が「○○大学合格 ××高校 田中一郎君」という縦長のビラを次々と筆と墨で書き上げているではありませんか。
墨痕鮮やかな、きれいな字です。猛烈に速いスピードです。すげーよ!師匠。

年に一度しか発生しない大仕事。
しかし、それは予備校にとって「死活問題となる、肝心要のテクノロジー」だったんですね。
それを身につけているのは師匠だけ。
そして、普段何気なく見かけていた「あの、さえない感じの物静かなオジサン」が「僕の名前が入った、僕が合格した大学名の札を書いてくれたんだ」ということが私にはうれしくてたまらなかった。
もし、普段は見たこともない、「その日、そのときだけアルバイトで雇った書道教室の先生とそのお弟子さんたち」がその札を書いたとしても、私はそれほど嬉しくならなかっただろうと思います。
高校生の若造が思う「目先のコスト意識」では、リストラ候補にしか思えない。
そして、今の若手経営者がやりがちな「アウトソーシング」の発想でも、無駄にしか思えない。
そこには、「限定合理性」の問題が潜んでいる(場合がある)ということです。

ところで、私は「今の時代にそぐわない」ので、年賀はがきは辞めました。
私は「今の時代にそぐわない」ので、門松をたてたりもしません。

さて、もうちょっと考えてみましょう。
たとえば、今時の幼稚園では「今の時代にそぐわない」のでひな祭りも鯉のぼりも節分も行事としてやらないのでしょうか。
合理性のみでぶった切れば、これらは単なる迷信的で無意味な行事ですよね。
しかし、「四時の運行、自然の摂理」を、こういったイベントを「節目」として、肌で感じ、身体感覚としてる覚えることは、幼児である時にこそ、とても大切な教育要素であるかも知れませんよ。

社会人になると春休みも運動会も夏休みもなんにもない、本当に「節目のない生活」になります。
ただ働いて帰って食って寝て起きて仕事に行く。それが何十年も繰り返されます。
合理性を追求すると、季節感も何もない、無味乾燥な生活が最も合理的だと言うことになります。

今時の若者は「今の時代にそぐわない」のでクリスマスにデートとかしないのでしょうか。
合理性のみでぶった切れば、葬式仏教の国民が大多数の我が国では、こんなのは単なる商業的イベントで無意味な行事です。
しかし、「彼女の気分を盛り上げる」要素としては大切なのかも知れません。
合理性を追求すると、彼女は機嫌を悪くするでしょうが、それでいいのか?
どうなのでしょうね。

哲学を学んだのなら、ホイジンガくらい読んでいると思うんですがね…。

最近出た本なら、高橋昌一郎『感性の限界―不合理性・不自由性・不条理性』(講談社現代新書 2012/04)なんかを読んでみるのが良いかもしれません。なお、この本の冒頭部分の学者同士の議論の風景は、やや大げさに書かれているけれども「大体合ってる」。学者は皆、人生をこじらせた変人たちなのである。

私だったら、「相手が持っている感性の限界」や、「限定合理性」、そして、相手と自分との間にある「情報の不均衡」をどのように利用・活用して、自分の仕事を有利に働かせるか?を考えますね。
営業マン(SEを含む)だったら、営業トークで、どうやって「白い嘘」をつくか?の作戦を考える役に立つでしょう。

以下の記事は、おそらく、書いている最中に、だんだんグダグダになって、結局何が言いたいのかおそらく本人でもわからなくなってきて最後でお茶を濁した記事の例ではないかと思います。これは「抽象化能力」の不足の具体例と言って良いかもしれません。

てめぇの若い頃の働き方なんか説教されても全然意味ねぇんだよ By ソウタロウ 25 5月, 2013
http://divide-et-impera.org/archives/1008

卒論をちゃんと書いていれば、「卒論の書き方、攻め方」に「正解」など存在しないことに気づいたはずなんですが、ここに書いてあることは、それとどう違うのか? なんにも違わないのである。

以下、ふぅん…こういう風に考える人もいるんだなぁ、と目に付いた記事。

空気は読むものではない。吸うものだ。空気を読むという事のリスク。 By ソウタロウ 6 12月, 2012
http://divide-et-impera.org/archives/221

ソウタロウ氏は、おそらく仕事をしている中で「気づいているはず」なのに、言及していないことがあるように思います。
それは、一定以上の世代の人たち(具体的には団塊ジュニア以上)は、「空気を読んでいるくせに、敢えて無視し、ゲートを破壊して正面から突破することが往々にしてある」という事実。
これについて、メリット、デメリット、「どうしてあいつらはそんなコトをするのか?」その理由などを考察してみることは、何かの役に立つかも知れません。

苦労チキンレースで全員斃れるか、共有地の悲劇のように最後のやつが苦労を独り占め By ソウタロウ 10 7月, 2013
http://divide-et-impera.org/archives/1233

優秀な人は、「手を抜くためには最大限の努力を惜しまない。」それだけです。
なんだ、ラリー・ウォールがPerl作ったのと同じじゃん。
もう一つは、「物事は、計画性が大切」ってことかな。
私の印象では、「計画性を大切にして徹底的な効率化・合理化を目指す」能力に長けた人が多いのは、役人(特に中央官庁)のように思います。
では、役人や中央官庁の仕事ぶりは、国民の間で、賞賛されているのか?と言えば、案外そうでもない。
なんでだろ~ なんでだろ~ なんでだ、なんでだろ~?

コミュニケーション能力ってなんだ?ニュータイプか? By ソウタロウ 5 12月, 2012
http://divide-et-impera.org/archives/217

この記事はおもしろかった。「曖昧な言葉」が一人歩きしている所を鋭く突いている。
「コミュニケーション能力」の各種要素を分類整理させるのをレポート課題として、出してみようかな、と思いました。

教師の倫理観というフワッとしたモノを強いられることで予想される結果 By ソウタロウ 14 4月, 2014
http://divide-et-impera.org/archives/1667

この記事で指摘されていることは、林壮一『アメリカ下層教育現場』(光文社新書 2008/01)に、実例として描かれていますね…。

立場を置き換えると腑に落ちる話

就職活動などでは「相手の立場に立って」とか「お客様の目線で」とかの言葉がよく言われるんだそうです。

サービサー側に求められる姿勢ということですね。

でも、その反対の「消費者教育」は、どうでしょうね。

現時点では、クーリングオフ制度の活用方法など、「悪い企業にだまされて損しをないようにする教育」の推進がようやく、教育現場に定着しつつあるというのが現状でしょう。

「神としての消費者」とか、「神としての株主」のような考え方は、程々にしておいた方が良いのではないか?

「そういう考え方でゴリ押しすると、結局、お互いにギスギスした嫌な社会になってしまって息苦しいよ」というような話は、あまりされませんね。

Amprule氏のBlog記事(http://amprule.blog34.fc2.com/blog-entry-279.html)に

「windowsアプリケーションの開発者を含めた全ての利用者がバグを生み出している」

「一度プログラム書いて金を手に入れたことがあるなら分かるだろうけど
一々他人の尻拭いする時間と金はねえよってのも納得がいく」

と書いてあってハッとしました。

通販と生活防衛とオジサン・オバサンの価値観

トイレットペーパー買いに行ったら棚がガラ空き。ほとんど品切れだった。

貼り紙がしてあって、「増税前で品薄」なんだとか書いてあった。オイルショックかよ。

で、通販。

書籍はAmazonとして、生活雑貨の場合はAmazonよりも楽天だろう。

しかし、楽天は目がチカチカする。
楽天で、必要な商品の情報に素早くたどり着くコツってあるんですよね。
ページの一番下から、上に向かって見て行けば良いんです。

消費者は「欲しい商品の情報にたどり着くまでは頑張る」から、その途中で如何に無駄遣いさせるかが利益を上げるポイントとなります。
そこで、「欲しい商品の情報」より前に、たくさんの関連商品と称する全然関係のない商品や、特価ナントカや、在庫セールとか色々載せるよに楽天が店子に指導しているらしいんですよ…。なるほどなぁ。

私はセッカチだから、楽天はどうも敬遠してしまいます。

そうすると、次の大手はアスクルとなりましょうか…。

トイレットペーパー【12ロール×8パック】【パルプ】【ダブル】【27.5m】オリジナルトイレットロールスマートエコノミーパルプ100% 1箱(8パック)アスクル
ダブル 1箱(12個入×8パック) ¥2,624

これがダブルの中では一番安かった。
12ロール×8パック=96個。1個あたり27.5mなので、27.5×96=2640メートル。
送料や代引き手数料は別途で考えるとして、単価は2,624円なので、2640÷2624=1メートルあたり1.00609756097561円。
1メートルあたり1.006円ね。
ちなみにアスクルは1,000円(税込)以上の購入で送料無料です。

アスクルほど有名ではない通販サイトにB5という所があります。
B5で一番安かったトイレットペーパーは以下の通り。

商品名:ベレックストイレットペーパー 個包装ダブル65m(重ね32.5m)100個入
金 額:3,831円

32.5×100=3250メートル。
送料や代引き手数料は別途で考えるとして、単価は3,831円なので、3250÷3,831=1メートルあたり0.848342469329157円。
1メートルあたり0.8483円ね。
ちなみにB5は1,500円(税込)以上の購入で送料無料です。

0.848342469329157÷1.00609756097561=0.843200999818071ですから、比率はアスクル価格100に対してB5価格84.3ですね。
つまり、B5で買う方が15%ほど割安だ、ということになります。

このようにして、メートル単価、グラム単価で比較することは、節約生活にはかなり効き目があります
まぁ、トイレットペーパーを毎回「半回転分」節約する、という習慣づけの方が大切かもしれませんけれど、ね。

私は漂白剤などの洗剤はもちろん、医療用の薬品を買うときなどには成分濃度まで見ます。

例えば「襟袖汚れ用の洗剤」ありますね?

「何ミリリットル入っているか?」だけではダメ。
効果を発揮するためにどんな「成分」が入っていて、その「濃度」がどうなっているのかも見る。

例としてアタックポイント洗い[本体]を見てみましょう。
容量:250ml/成分:界面活性剤[36%、ポリオキシエチレンアルキルエーテル、直鎖アルキルベンゼン系]、安定化剤、アルカリ剤、pH調整剤、分散剤、酵素。

はい。有効成分は「36%」含まれている「界面活性剤」なのでした。
ということで、ホームセンターで売っている「聞いたこともないようなメーカーの、80円くらいの食器用洗剤」を買ってくる。
それを詰め替えて使用すればOKです。
成分が一緒で、濃度は「80円くらいの食器用洗剤」の方が濃いんだもん。
実際に試してみると、ちゃんと効果ありますよ。

「ケチ」とか「貧乏くさい」とか「ミミッチイ」とか「セコイ」ことをすると、心が貧しくなります。
人間が貧相になるので、やめた方が良いですよ。

ところが、「アイディア」を出し、「工夫」をすると、心が豊かになります。頭も賢くなります。

若い諸君は、お母さんの「工夫」を「貧乏くさい」と混同しがちかもしれません。
でもね。
お母さんが本当に「ケチ」とか「貧乏くさい」とか「ミミッチイ」とかだったら、子供なんて産んでいませんよ。

人生で一番お金がかかるのは子供。次に一戸建ての家やマンションです。
子供がいなければ「ず~っと借家でもいいや」と思うかもしれません。
そうだとすると「子供のせいで家を買う羽目になるのだ」という風にも言えるかもしれません。

さて、家は25年くらい経って古くなっても一応は「資産」になります
一方、子供は3年間はとにかく手間がかかり、その10年後くらいには生意気なコトを言い始め、25年くらい経つと何もリターンを返さずに出て行ってしまうか、更に居座ってニートになるか、まぁ、とにかく子供には資産価値など「ない」。むしろ、負債や不良債権に等しい

お母さんは「貧乏くさい」と悪口を言われながら様々な「工夫」をして、使うべき所でドーンとお金を使います。
たとえば、妹が小六の修学旅行に持って行く、友達にも自慢できるかわいい(?)バッグとか。
中学生の夏期講習の学費とか。部活のために必要だと言うのでアディダスのカッコイイ(?)、シューズとか。
ガキ同士で自慢し合うようなものは、オジサンやオバサンには、「何がどう違うのかよくわかんねぇ」ものなんだよ。
「アディダスでもアシックスでもミカサでも何でもいいじゃんか。」って本音では思うのよ。
でも、それは言わないでドーンと出費するの。

佐賀のがばいばあちゃん』をオススメ図書として挙げておきます。

なお、私はコンビニ弁当を買うとき、味などは別に期待していないので、カロリーと値段で割り算します。
これは、少し変人かもしれませんね…。まぁ、学者なんだから多少、変人でも仕方ない。

かのように

 科學は呪うべきものであるという人がある.
(中略)
そしてこれ等物質文明の進歩は,當然精神文明にもよい影響を與えないでは措かないのである.これ等はすべて科學の進歩のおかげであつて見れば,科學は人類に進歩をもたらすものとして禮讃せねばならぬ.
 以上で明かなとおり,科學を呪うべきものとするか,禮讃すべきものとするかは,科學自身の所爲ではなくて,これを驅使する人の心にあるのである.
(中略)
われわれ科學者の中には今日までただ科學の進歩を目指して進み,その社會に與える結果に對しては比較的無關心なものが多かつたのであるが,今後はその結果が如何に使用されるかについて監視する必要がある.

仁科芳雄博士の「ユネスコと科學」より抜粋。

「われわれ科學者」は「その結果が如何に使用されるかについて監視する必要がある」という。

正論ではあろうし、理想的でもあろう。
が、正論であろうとも、その理想は一体、実現可能なのかには疑問がある。
世の中には、役割分担があるわけで、その役割が職業なのであるから、科学者が政治活動を行ったならば、それは政治家である。

科学者ならざる立場の人は、責任を負わないで済むから、科学者を安易に非難してしまう傾向がある。
しかし、例えば、文学なり歴史学なりというのも、時によれば、政治的な責任を問われるはずなのである。

そこを「突き詰めて考え込んでしまった若者」を描いたのが森鷗外の「かのように」なのであった。

「かのように」が発表されたのは1912年1月の『中央公論』。天皇機関説事件が起きたのはその後、1935年になってからである。

鷗外は医者だから、人の生死に関わる立場であった。
単なる高等遊民の高踏的立場で逃げおおせ切ることができない。
だから、深く考えたのだろう。
そこらのエセ文化人とは、やはり違う。

大方の場合、高等遊民の高踏的立場で逃げおおせ切ることなどできない。
引き受けるしかないのだ。

例えば、メガバンクに就職したとする。
親戚一同、感心して祝ってくれた。
ところが、所属部署が消費者金融部門と辞令が出た場合、どうするか?
精神的にキツイ職場だろうと思う。
それを理由として退職するか?
しかし、誰かが退職したとしても、他の誰かがその役割を分担しなければ世の中は回らない。
引き受けるしかないのだ。

ロックとビジネス

上手すぎても単なる「芸」になってしまうと、なんだか「違う物」になっちゃう。それは既にロックでもヘビメタでもない「何か」でしかない。

例えばコレ。LOUDNESSの高崎晃。1986年11月発売のアルバム『8186 LIVE』の頃の映像だと思う。二井原の声だと「おっ!LOUDNESS!」って思う。やっぱ、オリジナルメンバーじゃないと落ち着かない。

んで、こっちはその15年後。2009年2月の樋口宗孝追悼ライブ(C.C.Lemonホール)のようだ。
これは、既にロックでもヘビメタでもない「何か」でしかないように感じられてならない。

忌野は商業ロックを批判していた。

かといって、すぐにエコとか環境とか(例:TIMERS)、公民権問題とか(例:青い空の真下で)に首を突っ込むのも、なんだか違うような気がする。だったらエレキ使わないでアコースティック・ギター使えよ、というレベルで。

以前はそれを「自分への戒め」なのだろう…と理解していたが、むしろ「なんだか分からない物になって行ってしまいつつある自分への焦り」だったのではないか。

なぁ、ヒロト、そうだろ? でも、「それ」を「自分のために利用する」のって、やっぱ、違うんじゃないかと思うんだよ。俺は。

「若くなければロックはできない」のか?といえば、たぶん、そうじゃない。

「やりづらくなる」というだけのことだ。

では、そもそも「芸」はいけないのか?というのは、解決が難しい問題である。

古典芸能の家柄が古くから守ってきたものは、おそらく、ロックな魂のはずだから。

荒事をする歌舞伎とは、カブキ者の所作を守ってきたわけだしなぁ…。

ブンガクってのは、本来的に、ヤクザ者やはぐれ者がやる営みなわけでさ…。

ヘミングウェイ風に言えば「老人とブンガク」ね。

「歳とってもブンガク」というのは、「歳とってもロック」と同じはずで、「歳とってもロックであり、なおかつ芸である」というのを、どのように止揚するか。アウフヘーベン。

なんだか分からない物になって行ってしまいつつある自分への焦りを感じて、あれこれ書いてみたが、ここまで考えて、つくづく、読めば読むほど、白居易というのが、たいした人物であることに思い至る。

枯れたロックは古典になる力を持っているんだなぁ。

ん? 枯れたロックって…。あ、ジャズのことか…。そうか、ジャズか!

今日の結論→青臭くないROCKとは、JAZZのことである。

ジャズっていっても、たぶんMALTAは違う。確かにOBSESSIONとかHIGH PRESSUREは名曲だと思うけど、POPなんだよね。ROCKじゃない。
久保田利伸は確かにファンキーだけど、でもラップじゃないよね(例:TIMEシャワーに射たれて)、というのと似たような意味で。

高崎晃なみの超絶技巧で思い浮かぶのはミッシェル・カミロだけど(例:OnFire)、あれもたぶん(悪い方の意味での)「芸」に相当するんだろう。

そうすると、ケニー・ドリュー(例:Last Tango In Paris)かなぁ。

「恬淡としているように見えてメロディアス。実はすごい。素人には真似できない。妖怪じみている。」ってのは白居易に通ずる感じもするし。

「恬淡としているように見えてメロディアス。実はすごい。素人には真似できない。妖怪じみている。」を一般人にわかる喩えにすると「井上陽水のようだ」とでも言えば通じるでしょうか…。

はやく妖怪になりた~い。

Wikipediaで民族性・国民性を計測する

今から15年ほど前のことですが、Netscapeというブラウザがありました。

さて、その各バージョンの発表日を、Wikipediaの各国版で、どのくらい詳細に掲げているか?を確認してみると、

英語版その1
http://en.wikipedia.org/wiki/Netscape_(web_browser)

英語版その2
http://en.wikipedia.org/wiki/Netscape_Browser

英語版その3
http://en.wikipedia.org/wiki/Netscape_Communicator

日本語版その1
http://ja.wikipedia.org/wiki/Netscape_Navigator_(%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BA)

日本語版その2
http://ja.wikipedia.org/wiki/Netscape_(Mozilla%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9)

日本語版その3
http://ja.wikipedia.org/wiki/Netscape%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA

ドイツ語版その1
http://de.wikipedia.org/wiki/Netscape_Navigator

ドイツ語版その2
http://de.wikipedia.org/wiki/Netscape_Communicator

イタリア語版
http://it.wikipedia.org/wiki/Netscape_Navigator

フランス語版
http://fr.wikipedia.org/wiki/Netscape_Navigator

ドイツ語圏、イタリア語圏、フランス語圏は記述内容はそれなりに…という感じである。
但し、これら中央ヨーロッパの国は無駄な立項をせず、綺麗に見出し項目を集約する点が洗練された意識として共通するようだ。
編輯能力とは、要するにコーディネートの力である。服飾のファッションだけではないんですねぇ…なるほどなぁ。

日本人はかなり細かい方に属すると言えそうだが、無駄な立項がそのままになっており、「散発的な力」という感じがする。
個々人がそれぞれ勝手に発言するが、そのまま言いっ放しやりっ放しで、集約力がない。
ご近所さんとも付かず離れず相互不可侵で事なかれ主義。
問題が放置されるマンション管理組合の構図そのまんま。

一方、朝鮮語版に目を向けると、日本語版と比較して、突破力のある個人の力が強く働き、それが許容される社会なのかなぁ…と感じられる。

朝鮮語版
http://ko.wikipedia.org/wiki/Netscape

ちなみにロシア語版は英語版を丸写し。「一方ロシアは鉛筆を使った。」という尤もらしい都市伝説を思い浮かべた。
真相は違うらしいが、「尤もらしい」と誰もが思うところがエスニックジョークが成立する条件なのだから、それがロシア人に対するイメージの表象なのだろう。
http://ru.wikipedia.org/wiki/Netscape_Navigator

かれこれ見比べた結果、日本的な細かさで頑張っているのは、ポーランド語版であった。

ポーランド語版
http://pl.wikipedia.org/wiki/Netscape_Navigator

ポーランド語圏の人って、どんな人たちなんでしょうね…。

ヨハネ・パウロ2世とワレサ書記長のイメージしかなかったので調べてみた

一点集中型のマニアック気質で、真面目で頑固な地味子。周囲からはやや変人扱いされがち…という感じのようです。

あぁ、そうすると、若い頃のビル・ゲイツを思い浮かべれば良いのか。

総務省統計局「統計メールニュース」(平成26年(2014年)1月30日)No.629より

統計局からのお知らせ
■住民基本台帳人口移動報告 平成25年結果を公表しました。
○都道府県間移動者数は2年連続の減少
○東京都の転入超過数は2年連続の大幅な増加,千葉県は3年ぶりの転入超過。滋賀県は昭和42年以来46年ぶりの転出超過
○東京圏の転入超過数は2万9315人の増加。名古屋圏,大阪圏は共に3年ぶりの転出超過
○福島県は5200人の転出超過,震災発生前の平成22年と同水準
詳細⇒ http://www.stat.go.jp/data/idou/2013np/kihon/youyaku/index.htm

転出超過の都市の多くは、鉄鋼・製油・造船・軍需関連の都市であることに気づいた。

民需の落ち込みが主要要因なのか、自衛隊の組織変更による転出も響いているのかについては、軍事ネタには詳しくないので判断できないが、豊田市が転出超過であるということは、やはり民需の問題も確実にあるのだろう。横須賀市にも日産やJVCケンウッドの工場、関東自動車(トヨタ)、ケミカル系企業、冷凍食品関係の企業がある。

三大都市圏では東京一人勝ち、大阪の落ち込みがひどい。

市と府がほぼ完全な二重行政なので、大阪都構想の是非はさておき、どうにかしないと持たないのではないか。

転入超過の都市は、

などが背景にあるのではないかと思われる。

2013年以降は、大宮~高崎の人口が伸びているはずなのだが、統計に数値として表れるのはもう少し先かもしれない。

柏市は放射能騒ぎで転出が上回った翌年には、つくばエクスプレス沿線の新築マンションへの入居もあって、転入超過に切り替わったのだろう。この辺の健忘症は国民性と言えるかもしれない。ちなみに半減期を調べてみたら、以下の通りであった。但し、各物質の影響力についてはよくわからない。よくわからないものを無意味に恐れるのは科学ではない。かといってよくわからないものを根拠なく恐れないのも蛮勇の譏りを免れ得ない。ではどうすれば良いのか…。毎度毎度、ここで判断停止になってしまう。中国の士大夫ならば、こういうとき、竹林に籠もって隠者になるのだろうが、さて、どうしたものか…。

いろいろな放射性物質の半減期

放射性物質 半減期
ラドン220 55.6秒
ラドン222 3.8日
ニオブ95 35日
ストロンチウム90 29年
セシウム137 30年
アメリシウム241 430年
炭素14 5715年
アメリシウム243 7400年
プルトニウム239 2.4万年
ウラン233 16万年
テクネチウム99 21万年
ジルコニウム93 153万年
ネプツニウム237 214万年
ヨウ素129 1570万年
カリウム40 約13億年
ウラン238 約45億年

※上掲の表は原子力発電環境整備機構(NUMO)編『地層処分その安全性』(2009年10月、改訂版、原子力発電環境整備機構発行、p.100、資料編[1]いろいろな放射性物質の半減期)による。

2013年7月~8月中旬にかけて、東京はエジプトのカイロよりも暑い日がおよそ1/3あることがわかった。

日付は現地時間 Cairo, Egypt
カイロ,エジプト
Tokyo, Japan
東京,日本
subtraction 差
単位:℃ high avg low high avg low high avg low
01-Jul-13 31 27 22 26.1 23.8 22.3 -4.9 -3.2 0.3
02-Jul-13 31 27 22 27.9 24.3 22 -3.1 -2.7 0
03-Jul-13 32 27 22 27.4 24.1 22.3 -4.6 -2.9 0.3
04-Jul-13 33 28 22 27.3 25.2 23.2 -5.7 -2.8 1.2
05-Jul-13 32 27 22 28.9 26.8 24.2 -3.1 -0.2 2.2
06-Jul-13 31 27 22 33.7 29.2 26.8 2.7 2.2 4.8
07-Jul-13 32 27 22 35.4 29.5 25.8 3.4 2.5 3.8
08-Jul-13 32 27 22 35.3 29.4 25.7 3.3 2.4 3.7
09-Jul-13 32 27 23 35.4 30.1 25.7 3.4 3.1 2.7
10-Jul-13 33 28 23 35.3 30.2 26.9 2.3 2.2 3.9
11-Jul-13 33 28 23 34.5 30.3 27.4 1.5 2.3 4.4
12-Jul-13 33 28 23 34.9 30.9 27.8 1.9 2.9 4.8
13-Jul-13 33 28 23 34.4 30.7 27.9 1.4 2.7 4.9
14-Jul-13 33 28 23 34.6 29.3 24.8 1.6 1.3 1.8
15-Jul-13 34 28 23 35.1 28.5 22.5 1.1 0.5 -0.5
16-Jul-13 33 28 23 29.1 25.3 21.6 -3.9 -2.7 -1.4
17-Jul-13 33 28 22 29.1 24.6 22.1 -3.9 -3.4 0.1
18-Jul-13 32 28 23 31.8 27.7 23.8 -0.2 -0.3 0.8
19-Jul-13 32 28 23 30.5 25.4 21.4 -1.5 -2.6 -1.6
20-Jul-13 33 28 23 28.3 23.9 21.1 -4.7 -4.1 -1.9
21-Jul-13 32 27 22 29 24.8 21 -3 -2.2 -1
22-Jul-13 32 27 22 30.4 26.5 23.5 -1.6 -0.5 1.5
23-Jul-13 32 28 23 35.2 28 25.2 3.2 0 2.2
24-Jul-13 33 28 23 27.1 25.4 24.3 -5.9 -2.6 1.3
25-Jul-13 34 28 23 29.3 26.7 24.1 -4.7 -1.3 1.1
26-Jul-13 34 28 23 32.3 28.4 25.5 -1.7 0.4 2.5
27-Jul-13 35 29 23 33.1 27.6 22.3 -1.9 -1.4 -0.7
28-Jul-13 35 29 23 31.8 27.3 22.9 -3.2 -1.7 -0.1
29-Jul-13 36 29 23 27.3 26.3 24.9 -8.7 -2.7 1.9
30-Jul-13 35 29 24 31.2 27.8 25 -3.8 -1.2 1
31-Jul-13 34 29 23 30.7 27.4 25.2 -3.3 -1.6 2.2
01-Aug-13 37 30 24 32.8 27.5 24.2 -4.2 -2.5 0.2
02-Aug-13 36 31 26 29.1 25.6 23 -6.9 -5.4 -3
03-Aug-13 34 29 24 30.8 26.7 23.5 -3.2 -2.3 -0.5
04-Aug-13 33 29 24 31.3 27.8 25.4 -1.7 -1.2 1.4
05-Aug-13 36 29 23 32.2 29.1 26.9 -3.8 0.1 3.9
06-Aug-13 37 31 24 32 28.7 25.4 -5 -2.3 1.4
07-Aug-13 36 30 24 34.5 30 26 -1.5 0 2
08-Aug-13 35 29 24 34.1 30.3 27.3 -0.9 1.3 3.3
09-Aug-13 36 29 23 34.5 31 27.7 -1.5 2 4.7
10-Aug-13 34 29 24 37.4 33.2 29 3.4 4.2 5
11-Aug-13 35 29 24 38.3 32.9 30.4 3.3 3.9 6.4
12-Aug-13 34 29 24 35.8 31.3 27.9 1.8 2.3 3.9
13-Aug-13 32 28 24 34.7 30 26.2 2.7 2 2.2
AVG 33.5 28.3 23.1 32.0 27.9 24.8 -1.5 -0.4 1.8
MAX 37.0 31.0 26.0 38.3 33.2 30.4 3.4 4.2 6.4
MIN 31.0 27.0 22.0 26.1 23.8 21.0 -8.7 -5.4 -3.0

データ出典:

平成25年5月19日(日) ホンモノ

朝倉さや。ホンモノである。

朝倉さや公式ページ朝倉さや(本人)ブログ夏の山親方Twitter(朝倉さやマネージャー)

山形弁の「m」の音は、関東人にはちょっと出せない発音ですね。

方言周圏論(柳田国男著『蝸牛考』参照)の考えを敷衍すると、平安時代の京都の発音はこんな感じだったのかもしれません。

これだけの歌唱力の持ち主はそうそう出てこない。ひょっとすると、松田聖子以来ではないか。

(松田聖子のマスコミ的な立ち位置への好悪は別として、)松田聖子の歌唱力を否定する人は誰もいないであろう。

ただ、才能がありすぎるので器用貧乏に陥らないか心配。

今のような山形弁翻案パロと元気っ子系キャラで押すのではなく、オリジナル曲プッシュと、(例えば米良美一さんを拝み倒すとかして?)オペラや舞台を活躍の場にするのが良いのではないかと思う。

とにかく、一番に押し出すべきなのは、圧倒的な歌唱力なのだから、カバー曲で行くのなら、中途半端な日本の歌謡曲ではなく、シンディ・ローパーやホイットニー・ヒューストンの曲で行くのはどうか?

もちろん、事務所やレーベルの問題など、きっと業界内で色々難しいことはあるだろうから、できることとできないことがあるのだろうが…。

応援したい。

2013年4月7日(日) 爆弾低気圧

明日は花祭りで、いよいよ講義開始の週なのに、なんだかヘロヘロである。

気圧が低くなる→外圧が減る→身体が緩む→楽になる…はず…なのに、どうして低気圧が来ると体調が悪くなるのか? 長年、謎だったが、わかりやすい解説を見つけた。

全部で3ページ分。

この辺り。要するに、高山病と同じ仕組みで、似たような症状が出るんだよ、と。

なるほどねぇ…。

そうすると、これの逆の仕組みを人工的に起こして、強制的にテンションを上げるのが「加圧トレーニング」とか「高圧酸素カプセル」とかなのなぁ。

イブ飲んでもダメだ…。

頭痛と吐き気がひどいので、今日は諦めて寝てしまうこととする。

2011年12月25日AM:0902 於:長崎県内某カトリック教会

2011年12月25日AM:0902 長崎県内某カトリック教会にて1

2011年12月25日AM:0902 長崎県内某カトリック教会にて2

2011年11月17日AM06:18 於:茅ヶ崎海岸

2011年11月17日AM06:18 於:茅ヶ崎海岸

1929年11月4日、於ローマ、バチカン

1929年11月4日、ローマ法王庁、聖ダマゾ広場の写真

上の写真の裏には

お兄様へ
ローマにて
小さきヨゼフ
一九二九年十一月四日・我がプロパガンダ大学生はピオ十一丗陛下の
五十年祭とユビレオを祝し・サンピエルの大広間で卅ヶ国の言葉で以
つて祝詞を申し上げました。
寫眞は式後・ワチカン宮内の聖ダマゾの広場で撮ったものです・
中央は私等のコレジの校長・その右はモンセニョール・カネスチリ。
校長様から左右二名を除く外・全部私たちの寄宿舍の生徒です・
私は右上上段の四番目に居ります・/パパ様は寫眞の中に居られ
ませんが・この反対向ひ側の宮殿の中にお住居になつて居られます・

とある。中黒点を句読点として使用している点が興味深い。
撮影場所はバチカン宮殿の聖ダマソの中庭のようである。同じ場所を撮った写真はあるだろうか
1929年11月当時の教皇は、ピオ11世(ピウス11世、PIUS PP. XI)。Wikipediaによると図書館司書だったそうな。
ピオ11世は、1929年2月11日にイタリア政府(ムッソリーニ政権)とラテラノ条約を締結してバチカン市国を成立させ、IORを設立した。
現在のカトリックの基盤を作った政治手腕に長けた教皇であるが、社会や経済の問題について、カトリックの理念から指針を表明した回勅、"Quadragesimo Anno"(クワドラジェシモ・アンノ、15 maggio 1931、回勅はラテン語が正文。その英訳)が、当時のドイツで政治的に利用されたことを以て、カトリックそのものを非難する時の材料に使う人もいるようだ。
そんなのそもそも結果論だし、政治的に利用して悪政をした側だけが悪いと思うんだけどなぁ。
無制限の資本主義や、全体主義、共産主義に由来する、人間の自由と尊厳に対する危険性について論じたものなので、今の時代、もう一度読まれるべきもののように思います。

1929年11月4日、ローマ法王庁サンピエトロ大寺院の内部写真

上の写真の裏には

御一同様
ローマにて
小さきヨゼフ
一九二九年十一月四日・同じ祝ひの式中です。高座の白衣の方がパパ様・
左方の前列はカルヂナル・スイスの近衛兵が奧に二人と前に二人見える。
ズット手前の方には何千人の人が居るのでありますが見えません・此処
は聖ペトロ大聖堂の二階にある大広間です・

と万年筆書きで書かれている。

「小さきヨゼフ」とはカトリックの神学生として留学していた親類で、谷元利光というそうな。
谷元家の三男?(らしい)。私の祖父が谷元家の五男で、上二人ばかり幼くして亡くなっているそうな。
ならば、伯祖父(大おじ)ということになる。
前長崎大司教(で、後に枢機卿となった)里脇浅次郎師と同学年でローマに留学していたが、肺を患い、敢えなく帰国し故郷で亡くなったそうである。「よか男じゃった」(=イケメンだった)とは、祖母の言。

ようやく、長崎の女子修道院がフランシスコ会系のけがれなき聖母の騎士会の拠点になっている理由がわかった。
しかし、どこで戸籍が谷「元」から谷「本」になったんだ? 曾祖父さんは谷本だったはずだぞ。

ねんどろいどぷち ホシノ・ルリ(『月刊アニメスタイル』第4号付録)

ねんどろいどぷち ホシノ・ルリ(月刊アニメスタイル第4号付録) 

『月刊アニメスタイル』の表紙絵は、どうもイメージが違う…。

背景にナデシコのコンプリートDVDジャケットを使ってみた。

手に持っているのはゲキガンガー。芸が細かいなぁ。撮影後、速攻で無くしてしまった。

O嬢の写真 in 沖縄 2010年5月

素材として譲渡を受けた。ここに設置。

2010/04/29 某駅前ビルのトイレにて

このビルには医院も歯科医院も入っていない。すると…つまりその…。ここで非合法な薬物をうわなにをするやめr

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2009年1月、2008年度 某女子大 卒業制作展

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2009年12月 於、秋葉原

Laox本店(アンコウのナカウラがあった所)の店内案内板(フロア係員に許可を得て撮影)。

中央は簡体字中国語での表示。
コアターゲットは中国人富裕層にロックオンしている。もはや、日本人は客ではない。

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秋葉原 古炉奈跡

この状況を見た時は衝撃であった。

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帰宅後、調べてみると、2009/6/14で閉店したんだそうな…。

諸橋轍次先生の揮毫

『老子』第六十章に「治大国、若烹小鮮。(大国を治むるは、小鮮を烹るがごとし。)」とあります。

大意は、「大国を治めるには、あれこれ手数をかけるべきではない。それは小魚(小鮮)を煮る時と同じ事である。」というような意味のようです。

どこかの国の政府は、延々と様々な分野で「改革」をしていますね。
教育分野でも、「詰め込みはダメだ。」→「ゆとりはダメだ。」と右往左往。
このようなあり方は、大国のあり方ではない、ということになるのでしょう。

ところで、渋谷警察署の並びにあるトンカツ屋「かつ吉」のカウンター横に、扁額があります。

箸袋に、私がチラッと見てメモったのが机上整理中に出てきました。

そこには「活大國若烹小鮮 止軒」と、「治」ではなく「活」と翻刻してありました。

で、揮毫者の「止軒」とは誰かを調べて仰天。

諸橋止軒【もろはし しけん】「漢学者。新潟県生。名は轍次。」云々…。

えっ!? 諸橋轍次って…。

もう一度、メシ食いに行って、「治」なのか「活」なのかを確認せねば……と思ったのが2009/02/08。

ということで、同年二月下旬、十五年来、学問上の朋友としておつきあい頂いている年長の某氏に、半強制的におごって貰って(つまりタカって)、もう一度、メシ食いに行って、確認してきました。

「活」ではなく正しく「治」とありました。つまり、私の翻刻ミス。むぅ。

流石は諸橋先生。

諸橋轍次先生の揮毫

上の画像は某氏撮影の2枚を合成処理。遠近法で角度調整したのはまずまずの出来かな…。
でも、どこで継いだか、すぐわかってしまうのが何とも…。色合い調整って難しいですねぇ。

以下は、ハンコの部分の拡大。

諸橋轍次先生の揮毫(印章部分拡大)

以下は、某氏蔵、諸橋徹次著『掌中論語の講義』(大修館書店、昭和28年刊)への著者自筆献呈書き入れ。

諸橋轍次先生の自筆著者献呈書き入れ(その1)

「契」の異体字字形の字は康煕字典 備考21丁に載っている「契」の異体字字形で、大漢和辞典では9617番。

「千田賢契 恵存」とありますが、「賢契」さん宛ではありません。

「賢契」は弟子、後輩などに対する敬称です。

『漢語大詞典』CD-ROM Ver3.0では「長輩對子侄輩或先生對門生弟子的愛稱。」と説明されていました。

以下は、某氏蔵、諸橋徹次著『掌中老子の講義』(大修館書店、昭和29年刊)への著者自筆献呈書き入れ。

諸橋轍次先生の自筆著者献呈書き入れ(その2)


光村図書 中学二年国語科教科書に採用されていた
椎名誠著「遠く、 でっかい世界」に描写されるモンゴルの「天境線」

エッセイ本文は、平成元年3月告示、平成5年4月施行の学習指導要領による改訂が反映された教科書に掲載で、1984年生~1988年生の生徒が使ったはずの教科書。

なお、本サイトの他にもVirtual Mongolの「自然」の分類中に写真があります。

滝澤真実氏による撮影。2009/01/06使用許諾取得済み。

スナップ写真を元に、スキャンしたので解像度はイマイチかもしれませんが、それでも感動します。

画像に明示的な透かしは入れず、電子透かしも入れませんでしたが、Exifなどのメタデータに色々書き込んであります。

モンゴル写真の使用条件(暫定版):教育目的並びに非営利の個人的な利用に限る。

横長写真は、クリックすると新規ウィンドウで、1024*768サイズの画像を表示できます。

円筒形の移動式天幕家屋(ゲル)

ゲルの図1

懐かしい表情

子供達の表情がかつての日本のような懐かしい雰囲気。

なるほど、天境線である。

「天境線」としか言いようのない風景の図

天境線の向こうで雨が降っているのがわかる。こっちへ来るぞぉ~ってのもわかるんだろう。

天境線の向こうで雨が降っているモンゴル平原の図1

同上

天境線の向こうで雨が降っているモンゴル平原の図2

晴れ間の様子。

晴れ間のモンゴル平原の様子の図

寝そべってみたくなるが、実は馬のウンコだらけなんだそうな…。

平原と村人の図1

同上

平原と村人の図2

昔、『騎馬民族国家』という本が随分売れたのを思い出します。

馬で平原を疾走するの図

案外、起伏に富んでいるんですね。

地形の起伏に富んでいる部分の図

ゲルと馬。伝統的な生活の様子。

ゲルの図2

同上

ゲルの図3

でも、家屋はゲルだけ、というわけでもないらしい。

ゲルではない家屋の図


2009年1月 某大学 パワーポイント発表会

2009年1月 某大学 パワーポイント発表会 画像その1

PwerPoint原稿は既に年末に提出済み。

その後の変更は不許可と指示した。

しかし、PwerPointだけで発表しろなとどは言っていないので、これはアリ。

むしろ、インパクトがあってよろしい。

年末年始の休み期間も精神的・時間的に拘束され、大変だったと思うが、よく頑張った。

2009年1月 某大学 パワーポイント発表会 画像その2


2009年1月、2008年度 某女子大 卒業制作展

孫過庭の『書譜』全臨。全長9mにも及ぶ長大なもの。

卷子の表が立派で、それにもビックリしたが、表に負けない中身を書くのは大変だったろうと思う。

家宝になる卒業制作。

2008年度 某女子大 卒業制作展 孫過庭の『書譜』全臨 画像その1

映っているのは書いた本人。

「巻子本の大きさがわかるようにしたいので、顔が見えないようにして、そこに立て」と指示して演出撮影。

2008年度 某女子大 卒業制作展 孫過庭の『書譜』全臨 画像その2


2008年1月、2007年度 某女子大 卒業制作展

2007年度 某女子大 卒業制作展 画像その1

2007年度 某女子大 卒業制作展 画像その2

2007年度 某女子大 卒業制作展 画像その3

2007年度 某女子大 卒業制作展 画像その4

2007年度 某女子大 卒業制作展 画像その5

2007年度 某女子大 卒業制作展 画像その6

秋山眞之の打電は王羲之の蘭亭叙が典拠なんだろうと気づいた。

2007年度 某女子大 卒業制作展 画像その7

中学一の秋。茂吉にはまったのを思い出した。

2007年度 某女子大 卒業制作展 画像その8

潑溂。

2007年度 某女子大 卒業制作展 画像その9

2007年度 某女子大 卒業制作展 画像その10

これは他学科。圧倒的なパッション


2007年5月 某女子大にて撮影

女子大には四季折々、綺麗な花がいっぱいあるのですよ。

2007年5月 某女子大のタケノコ

タケノコである。タケノコと言えば二十四孝子の一、孟宗の哭竹生筍の話である。

晉の孟宗、少くして父を喪ふ。
母老い、病篤くして冬の日に筍煮羹を食さんと思ふ。
宗は得可き計なく、乃ち竹林中に往き、竹を抱きて泣く。
孝に天地感じ、須臾にして地裂け、筍の數莖出ず。
持ち歸りて羹を作り母に奉る。
食ひ畢りて病癒ゆ。

まぁ、昔の修身の教科書には必ず載っていたものだから、爺様と話をするときには、この辺りは常識。


2007年5月 某女子大のヤマブキ その1

2007年5月 某女子大のヤマブキ その2

ヤマブキである。ヤマブキと言えば山吹緑先生・・・ではなくて、太田道灌の話である。

七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞ悲しき

こういう和歌だ。

ということで、山吹には実は付かないことになっている。でもホントは被子植物。

こういう返事を返す女を、風流と見るか、むくつけき武者を小馬鹿にしてあしらった嫌味と見るか。

感想は、年齢に反比例するかもしれない。

まぁ、もっとも、これは史実でなくて俗説なんだけどね。でも、新宿には山吹町ってところがある。

これも、昔の修身の教科書には必ず載っていたものだから、爺様と話をするときには、この辺りは常識。


2007年5月 某女子大のフヂ その1

2007年5月 某女子大のフヂ その2

藤の花である。正岡子規の

瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり

は、余りにも有名。中学校の国語教科書にも載っているし。

ところで、宗祇が弟子と文明十四(1482)年十月に行った「大原三吟」に、

かめにさす はなのあさかほ ひにさきて

はかなやいのち なにをまつらむ

というのがある。

これが根底に響いているのかどうか。これについては、専家の意見があるやを確認していない。

藤の花は、とても甘くて良い香りがするのだが、例年、連休と丁度重なる頃に咲くので、よほど気をつけていないと逃してしまう。

学生は気づいていないだろう。もったいない。


ディレクトリ名やファイル名を決定できず、どうニュアンスが違うんだよ?と調査。

Google image search 2008/01/20調査

以下に掲げる類の写真は、Photosとするのが適切なようですね…。

word hits contents
Images 約 899,000,000 件 many kinds , and whatnot.
Photo 約 718,000,000 件 many kinds , and whatnot.
Image 約 599,000,000 件 Software packages, Maps, and whatnot.
Photos 約 379,000,000 件 a shot of one's life history.
Pictures 約 163,000,000 件 animal photographs, and whatnot.
Picture 約 151,000,000 件 many kinds , and whatnot.
Shot 約 61,900,000 件 CM of camera or one's passageing shot.
Figure 約 41,800,000 件 Otaku dolls, and whatnot.
Shots 約 32,700,000 件 computer's Screenshots or Sports scene.
Figures 約 30,300,000 件 Otaku dolls, and whatnot.
Photographs 約 23,600,000 件 antique or artistic photographs.
Photograph 約 16,300,000 件 antique or artistic photographs.

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